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釈迦力狸

日々鍛錬する狸の話

大晦日

朝の5時30分から2時間ローラー

おかずはスターウォーズ。

来年はジェダイの騎士でも目指そうかと思う。

226w 137bpm 1600kj

朝から車の掃除を念入りに。購入4ヶ月で既に傷だらけだ。

昼から今年のうちに煩わしい通信関係の契約関係整理。

来年はスマホもパソコンも要らないアナログな生活に戻りたい。

ゴチャゴチャ面倒なことはせずにシンプルに晴耕雨読に生きたいもんだ。

今年一年家族もみんな元気にすくすく育ってくれているのが嬉しい。



今年も色々あったけど、自分が挑戦したことに一片の悔いなし。皆さんのおかげで今年も充実した一年だったと言い切れます。

来年もよろしくお願いします。





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2015年


70min 240w 1000kj


2015年リザルトを振り返ってみる。

1月
JCX希望ヶ丘19位
関西CX堺6位
関西CX桂川6位

3月
西日本チャレンジロード6位

4月
舞洲TT13位
舞洲クリテリウム優勝
菖蒲谷CJ2 優勝
白浜TT4位
白浜クリテリウム2位

5月
朽木CJ1 3位
堺クリテリウム落車
ツールド熊野二日目3位
ツールド熊野三日目4位

6月
全日本選手権35位

7月
西日本ロード4位
西日本ロード2位

8月
5st総合不明
宮田ヒルクライム16位
宮田クリテリウム2位

9月
渡瀬TT4位
舞洲クリテリウム3位
魚沼TT2位
東日本ロード優勝
全日本ロード2位

10月
大星山ヒルクライム6位
きらら浜クリテリウム優勝
輪島ロード8位
JCXびわこマイアミ17位

11月
CJ2湯船MTB優勝
関西CX大野ダム4位
関西CX日吉ダム4位
JCXマキノ高原47位
関西CXマキノ高原12位

12月
関西CX東近江6位
関西CXりんくう6位

優勝5回
2位5回
3位2回
4位6回
5位0回
6位6回


数えてみると年間35レース。入賞24回。

一番自分の中で価値あり達成感あったのは全日本選手権の35位だ。ゴール後に本当に競技続けてきて良かったと思えた瞬間だ。

実業団のE1は、優勝以外は負けのレース。

シクロクロスは4位から6位が定着してきたが一つ一つの順位に重みがある。


金銭的に考えると1レースエントリー費6000円としても、、、計算できん。

遠征費含めると、、、もっと計算できん。

しかし、得たものはプライスレスだ。

金は墓場に持っていけないが経験したすべての思い出は死ぬまで自分の心に残る。

ええ大人が、あほみたいに限界に挑戦する。これほど幸せなことはない。

おっさん達がエリートツアー優勝だとか意味わからないこと言って真剣に一丸となって取り組む。

泥まみれになりながらシクロクロスを走り回る。

誰も褒めてくれない伊達と酔狂の世界だけど最高に楽しいじゃないか。

何より支えてくれた家族と熱き仲間達にに感謝。








ミドル負荷

昨日負荷をかけ過ぎたのか足がパンパン。

やはり3日もあけると致命的に運動機能が低下する。

徐々に戻していかないと、もう戻ってこれなくなる。

今朝はベースとなるミドル走

75min 220w 1000kj

息子君は夜になると大はしゃぎでなかなか寝てくれない。

姉ちゃんにダイブをしまくる。姉弟というのも見ていておもしろい。

2時間凝縮

3日ぶりにローラーまたがる。

サラアシのため回る回る。

20min 250w

回るが心臓はしんどい。

地獄の2時間コースへ突撃。

今日のおかずはミナミの帝王。

萬田銀次郎のドスの利いたセリフと、逃げ回る債務者の悲鳴がBGMだ。
金貸しの本質を学ぶ


20min 293w 162bpm

20min 295w 161bpm

20min 297w 162bpm

20min 295w 161bpm

間は4min rest

15mincooldown

2016年にちなんで2016kjで終了した。

最終セットは足が痙攣した。3日乗らないとこの程度で足がつってしまうのか。

灰になれてこの上ない達成感だ。

娘と二人でドライブに出掛けて子供と機嫌よく遊べる楽しい休日。

病気

故あって金曜日から月曜日までの期間はトレーニングができない環境に追い込まれた。

365日完全休養など取るつもりはない私にとって、なんとも耐えがたい屈辱的3日間。


私にとっての朝のローラーは座禅を組むようなもので、 3年中平日は変わらず繰り返す。

もはや歯を磨くのと同じ感覚でローラーに乗れるようになった。

朝起きることに辛さもない。日常の中に完全に組み込まれている。

3日間運動から遠ざかり完全な禁断症状が出始めた。なにもしないことに対する罪悪感にさいなまれ、どんどん不機嫌になっていく。気休めにプランクするくらいしかやることがない。

一日に一度は運動をして汗をかき身を清めないと気が済まないらしい。

完全な病気だ。

この病気は治るのだろうか。




リハビリ中

朝から1000kj

55min 230w 137bpm

パワータップとペダモニの併用中であるが、同じ数字が出たり、25wくらいの差が出たり。

クランク測定とハブ測定なので当然に駆動ロスがありハブ側の方が低く出るんだろうけど正直どちらが正しいのがよくわからない。

息子君はサンタクロースに父ちゃんが毎日乗っている阪急電車をもらって大喜びだ。


2000kj

くろんど池のシクロクロスにエントリーしていたが、無念のDNS。

代わりに我らがキャプテンが建具ジャージの宣伝をM1で豪快にやってくれたみたいで嬉しい。


今朝はいつも通り5時前に起きて、修行ローラー。

20min 233w

20min 273w

20min 293w

20min 293w

20min 274w

cooldown

2000kj目指して20minのメディオを繰り返すベーストレーニング。最後は足ガクガクで2時間10分で2000kj到達。

朝から無我の境地に到達でき満足だった。

これ以上の時間効率の良いトレーニングはない。

朝の8時から年末の家庭内のことを一気に片付けていく。毎週シクロばっかりいっているのでせめてもの贖罪だ。

時間があるときにやれることをやっておく。今日は良い1日だった。

photo by cyclowired様



右から見ると工房ハイランダーの宣伝も完璧だ。

シクロ界に突如現れ、謎の旋風を巻き起こす村上建具の動向から目が離せない。

目指すところ

20min 212w
45min 260w 152bpm

1000kj


なぜここまでバカなのか。

仏門に入って悟りを開きたい心境です。


家族や周りに迷惑かけるのも辛い。

今年はシクロに最注力で取り組んできて少しずつの成長も感じていたのに志半ばで道を絶たれたことのショック感は大きい。

シクロのC1は私にとっての最後の挑戦。

いつまで競技続けれるかわからない中で、自分自身の極限状態で格上の選手と戦うのは面白い。

ひとつずつトップ選手に近づく楽しさがあり、来年はもうロードは止めてシクロオンリーでも良いのではないかと思っていた。

その矢先に残り少ないシクロシーズンを棒に振り、失った時間の喪失感が大きい。機材は金払えばなんとでもなるけど時間だけはお金では買えない。



ってことでしばらくおとなしくしているしかなく、復帰の目処はわかりませんが、なんとか最終戦の桂川で表彰台に上がれるように準備に入ります。

サポートしてくれる社長のためにも一矢報いなければならない。

あきらめたらそこで試合終了ですよ。





折れた

朝からローラー。手は添えるだけ。

60min 210W

腹筋、背筋。

指の付け根が腫れ上がってしまって、まともに右手が使えない。




と思ったら折れてた。



かなりショック。


関西シクロ第7戦りんくう

嵐のような1日だった。

8時から試走に行き、キャンバー駆け上がりを登ってみる。

ハンドルを引きつけると、「バキッ!」という乾いた音と共にコラムのネッコからハンドルが取れた。正確にはコラムが折れた。さすがにこれは初体験だ。前回の東近江から何かヘッド周りががたついておかしい気がしていたが、こういうことだったのか。コラムにクラックが入っていたということか。

村上建具1号車、ここに力尽きる。

村上建具2号車にまたがり試走。

2号車はとにかくデコボコ区間で跳ねまくる。1号車でないとこれは走れたもんではない。

1号車をなんとかしますと村上社長。

さすがにフォークは転がってないよ、、、。

そこはゴッドハンドの腕の見せ所。

廃車になったTCXコータロー号のフォークを引きずり出して来てサイズがあわないものを応急処置して取り付ける。多少サイズは合っていないがなんとガタなく取り付いている。

社長すげーぜ。

社長のご好意のお陰で走れることになったので気合い入れて頑張る。


関西シクロランキングは現在4位のため最前列。スタートからガンガンいくぜ。

沢田時選手、木村選手、島田選手との4名パックで序盤を進める。



2.5周目のキャンバー駆け上がりでミスっておくれる。このヘタレっぷりが差なんだな。

一度開いた差は詰められない。

諦めて後ろから迫り来る大渕選手を待つ。

しかし合流してまもなく、キャンバーの後半でミスってこける。その拍子にチェーン外れ。伊澤選手にも抜かれ置いていかれる。

ここで焦ったのが今日最大の失敗だった。砂利道を下ハン握って踏み倒し一息で追いついてやろうという甘い考え。

砂利道の終点の一番奥のコーナーに突っ込み過ぎて立ちあがりで前輪滑ってこける。


このとき変な角度に手を着いて、指をやってしまった。

これは折れたとわかるくらいの痛さが襲ってくる。

しかしあと30分以上耐えねばならん。止めるかと思ったが社長が自転車治してくれたのだから走らねばならん。

ここからが苦行だった。



ブレーキはおろかハンドルもまともに力入れて握れないので、ブレーキはほとんど左手のリアのみ。

キャンバーの下りやらはもうコントロール不可能。



登りもハンドルを強く握れないので押すことにした。シケインの飛び越えも右手で自転車を持てないので脇に抱えて走る。



その分、平坦の砂利道をエアロポジションで死ぬほど踏みまくる。

後続は見えていなかったが、私のペースがガタオチになったため4人くらいのパックがじわじわと詰めてくる。

ラスト2周辻善光選手が迫ってくるのが見える。



6位だけは死守すべく必死で逃げる。もうなりふりかまっていられない。踏めるところは踏みまくる。コーナーはこけられないので慎重に曲がる。

なんとか最後まで走りきり6位ゴール。

ゴール後に指を色々なかたに心配して頂き、アイシングする氷を買いにコンビニへ。

コンビニに車止める場所がなかったので横着したら車の後ろをガツンとぶつけてしまう。

悲し過ぎる。


帰り道も指の激痛に耐えながら運転していたがナビに騙され変な道で異常に時間かかって帰宅。

散々な1日だったが、社長のゴッドハンドとサポート頂いたメンバーすべてに感謝だ。何より結果は残せて帰れたのが何よりだ。










クリスマス会

今日は家族でクリスマス会。

朝にシクロ車でキャンバー往復走。サイクリングロードの脇の土手で爽やかにサイクリングする人を横目に斜めの斜面を悪戦苦闘しながら走り続ける。


その後に桂川沿いのグラベル狸街道を爆走し終了。


もう普通のサイクリングロードでは満足できないぜ。

90分で切り上げて家族と過ごす。



明日に向けてカロリー充填だけは万全だ。

お釈迦様

今日は180wで流し


昨晩はお釈迦様の説法を聞く会。

このお釈迦様に出会えただけでも私の大阪生活は非常に大きな意義がある。すべての出会いに感謝しよう。


自分自身、今一度心を磨かなければならない。本当に私は徳がない。


前にここでも書いたが

「受けた恩は石に刻め、かけた情は水に流せ」

という教えはやはり真理だ。

過去お世話になったことは、たとえどんなことがあろうと消えることはない。

それが消えてしまうのは自分の心の未熟さ故だ。

感謝の気持ち、おもいやり、愛を忘れたら人間はダメだ。

子供達に本当に教えなければならないのは、勉強ではなくこういう道徳なのではないか。




シクロ車

今朝のローラーはシクロ車で。

パワータップ付けてじわじわと240wまであげていく感じ。

ロードとハンドル高等のポジションが違うので最初は違和感感じていたが、慣れてくるとこちらの方が体幹が使えているような気がしてきた。クランク長165ミリはよく回る。

少し筋トレして出勤。

ところでオフロードはクランク長が長い方が良いと聞くけどなぜなんたろう。シクロみたいにコーナーが多いと、立ちあがりの初速が大事だと思うのですがそれはクランク長短い方が有利な気がしてしまう。賢人の皆様教えてくだされ。

関西シクロにすっかり定着してきた村上建具ジャージ。この現代ジャージのクールさから逆行した外し感が絶妙だ。


筋力強化

水曜日は負荷をかけるはずが、体の芯から疲れているのかかからず。

20min 235w 140bpm

20min 270w 152bpm

40min 260w 148bpm

1250kj

パワーが湧いてこず、ただひたすら耐える60min。

先日の竹之内選手の走りをみたり、世界のトップのシクロ選手の体つきをみると筋肉量が多い。

やはり筋肉おじさんになることが必須だ。

今後ヒルクライムのレースにでることはもうないだろうから、筋肉量を増やして絶対的なパワーをあげる方が正解か。

特に最近はトップ選手の体つきを見て鍛える筋肉を考えてみたりする。いまは背中の筋肉量を増やしたい。

C1での序盤の3位争い



ダンシング練

おまたが痛いのでダンシング練。

5分ダンシングして5分シッティングを5set

60min250w

1100kj

photo by kikuzo様




kikuzoさんはsakaiさんと双璧のカメラマンや。

体幹

55min189w130bpm

少し筋トレ

昨日の東近江の後半は体幹崩壊がすさまじく、コーナーの度に曲がれなくなってきているのを感じた。踏ん張りが効かなくなってくる。

シケインやステップで置いていかれることは減ったけど、砂区間は昨日は完全に鬼門になっていた。あそこでアドバンテージが作れたらかなりタイム稼げるんだけど。

C1トップはなんでそんなにすっと抜けれるの?やはり加重とライン取りなんだろうか。

シクロクロスは最高のトレーニングだ。
マシンコントロール、瞬間的パワー、踏み続ける力等総合的に絶対に強くなると言い切れる。

今からでも遅くないので興味ある人は絶対やるべきだ。



関西シクロクロス第6戦東近江ふれあい運動公園。

関西シクロも折り返し地点だ。

マキノ高原が絶不調だったため今回は挽回したいところ。

東近江は平坦基調の180度ターンを何度も繰り返す設定。また砂区間の処理も非常に大事だ。


アップは試走終わった後に心拍185までローラーでフルもがきしてあげる。
きついけど、これやっておかないとスタートダッシュできない。

最前列のシード権はかろうじて確保しており呼ばれていったら全日本チャンプの隣ではありませんか。



スタートダッシュはやや失敗したものの、最初のターンを竹之内選手達、木村選手、伊澤選手に続いて4番手で突っ込む。

竹之内選手は当たり前だが一周目から消えていき木村選手がそれを追いかける。その後ろは、伊澤兄弟、島田選手、大渕選手私の5名パック。

伊澤選手がガンガンいくので着いていくので精一杯。

砂区間の処理で5秒位離されその後の平坦で鬼踏みして追いつくというのを3周連続繰り返す。あかん、下手すぎて無駄に消耗。

実力で上回る島田選手がジリジリと前に出て離れていく。

伊澤選手も少し前に。

私は大渕選手と二人になる。

大渕選手が強すぎて前に出れないっす。一度出たけど私が遅すぎて後ろに引っ込んだ。

終盤で伊澤選手に、追いついたがしばらくパックで走った後にアタックを決めて先行を許してしまった。

最終周回まで大渕選手とパック。

最後は完全に上半身のコントロールが効かなくなり、少し離れて6位ゴール。

大渕選手お世話になりました。ええ稽古付けて頂きありがとうございました。

私は平均心拍180だったのでもう限界だったのでしょう。

灰になれて満足です。

歴史を振り返ってみよう8

シクロ車で、新コース開拓サイクリング。

少し見つけたが、先日の○ンポコ練のコースは上回れず。

歴史シリーズ。

2011年はTRからおりてきて、E1で走ることに。

勝つしかない。

西日本実業団広島は、最終周に苗村監督と二人でアタック。

苗村監督の強烈な牽引で三段坂まで連れて行ってもらい、そこからついてきたもう一人の選手と二人でゴールまで。最後は余裕を持って優勝。

キャプテンはじめチーム員全員の力で勝ったレースにつき非常に印象深い。

それから実業団はあまり出られずキャプテンが群馬に修善寺に孤軍奮闘していた。Jグランプリ奪還に向けて春先は楽観モードであったが、夏くらいからスペースさんの猛追を受けて怪しくなってきた。

徴兵令が出され、私のもとにも赤紙が届き戦場に赴く。天下分け目の加東ロードで、優勝を絶対条件とされた。

6名の逃げを作り最終局面を迎えたが、まさかのホイール破損で脱落しチームオーダーを崩してしまった。

ここから旗色が悪くなりスペースの岡兄弟達との血みどろの戦いに突入。

まさしくチーム一丸となり総力戦で最後は僅差で勝利し、感動のフィナーレを迎えた。

代償として全員相当の疲弊感は感じていた。

2012年はパッソディシルベスト解散しひとつのチームとして戦った。

前年の接戦を踏まえ福島まで遠征したりと余裕でポイントを積み重ねてJグランプリを圧勝。イエローヒトシも誕生した。

順調過ぎたのがあまり苦しんだ記憶がない。冬は少しシクロをかじってみた。

2013年は春から諸問題が噴出しチームの崩壊に始まった。
その関連で疲れたのでほとんど競技をやめていた。

リザルトもひどいもんだった。王滝でマウテンバイクに復帰し、9月の王滝だけはきっちり準備し真剣に走った。ゴール前のパンクで優勝逃したが、マウテンバイクの世界にも再び足を踏み入れることに。

この年の忘年会で、監督から言われた一言。

「マウンテンバイクの集中力はさすがやった。来年は実業団も頼む。」

監督の何気ない一言だったが、胸に刻まれる。

秋からは自転車から離れてフルマラソンのサブスリーをめざすことにした。

あほみたいに走りくるって無事に2月の高知マラソンでサブスリー達成し、悔いなく再び自転車復帰。

2014年。

マラソンから復帰し、マウンテンバイク、実業団とバランスよく出場。

5月の熊野は勝てなかったが確実に調子をあげていた。しかし、骨折にやられまくった。

一年間に合計3回骨折。なんだか棒に振った一年だった。実業団も数レースしか出れなかった。

冬からシクロを真剣にやり始め、競技力は大幅に向上したと思う。

そして2015年につながる。



忙殺



忙殺されているが、息子君見ていると癒される。てけてけ歩いて、にやりと笑う。

歴史を振り返ってみよう7

60min 191w 117bpm

2009年は実業団が終わるとジャパンカップ、ツールド沖縄と続いた。

ジャパンカップは初めての体験に興奮して先頭引きまくってしまい、最後一周で足が売り切れて19位でゴール。

そして2009年最大の戦いはツールド沖縄。


140km地点くらいの高江の登りから6名で抜け出す。

高岡さん、武井さん、清宮さん、森本さん、小野寺さん、私。いま思えば歴代沖縄チャンプと、山の神森本さんだ。

6人の攻防から最後の源河の登り前で、清宮さん、小野寺さんが落ちて、源河の登りで森本さんが力尽きた。

高岡さんがやはり強くて先行許したが、武井さんと二人声かけあってジリジリ詰め、下りで合流し3人の戦いに持ち込んだ。

最後は3人のスプリントとなるが当時の力では武井さんに歯が立たず、撃沈して3位に終わった。

日本を代表する二人との何十キロにも及ぶ戦いは今でも鮮明に覚えている。

このツールド沖縄は、かなり先頭を牽いたし、着き位置を一度もつかうこともなく攻めの一手で走ったレースだったので
負けても何か出し切った感のある爽快なレースだった。

そしてこのレースを最後に半年間自転車から離れた。

違うことを始めようとトレイルランニングを始めた。毎週末山の中を走り狂い、ハセツネ等のトレランレースも走りまくった。この期間シルベスト内で何が起こっていたのかはまったくわからないがTRでみんな頑張っていた。、

2010年の6月に自転車に復帰。

復帰第一戦の石川ロードではE1で2位だった。TR復帰した松川ロードでは暑さにやられ力尽きたが、我らがキャプテンがが驚異的な粘り強さを発揮し20位で完走するという快挙を成し遂げている。

この年は鈴鹿の5ステに初出場した。

かまやん、をくだ、キャプテン、鬼頭、所長、私の6名。

毎回のことながら所長の暴走を止められずにチームTT崩壊をやらかし2位におわった。

秋にはランニング効果もあってか体が絞れまくっており間違いなく最強の状態に仕上がってきていた。

そんな中、再び転勤で大阪梅田勤務命令が下りまたまた生活環境の激変。

迎えたジャパンカップも過去最強の状態で挑んだ。

しかし好事魔多し。

レース終盤で集団内から単独飛び出し逃げグループへの単独ドッキングを試みたところ、魔の古賀志林道の餌食となり私の2010年は終わった。調子が良すぎると恐ろしいことが起こる。

その後のツールド沖縄に参加できなかったのが相当悔しかった。


シルベストのTRチームからは2010年を最後に私自身自らおりて活動を終了した。







60分走



20min 235w 140bpm

60min 304w 163bpm

今年の60分走の自己ベストタイ記録。キャリブレーションを行っているので数字面は間違いない。

ラスト20分は、腹筋の崩壊から始まった。ラスト10分は体幹のコントロールを失う。

苦し紛れのエアロポジションやダンシングで耐える。

最後はギアかけてダンシング。

あー、きつい。まだこれがやりきれる水準であったことは大きい。

歴史を振り返ってみよう6

20min 220w

55min 268w152bpm


1100kj

2009年は、BR1からTRという制度に変わりチーム登録が必須となりクラブシルベストからはパッソディシルベストという名前でチーム登録を行い、関西圏のTRで走りたい面子を集めた。またチームランキングによりチーム降格という制度ができたのもこの時期だった。

TRのレースは世界基準を目指すとの方針で東日本、西日本、全日本は150kmから200kmのレースとなることが決まった。


私の練習もその基準に合わせて150kmから200kmが当たり前の水準となった。

4月の群馬CSCで行われた東日本群馬は、160kmくらいの長丁場だったが19位でゴール。少し手応えはあった。

富士山ヒルクライムは21位。

しかし、満を持して望んだツールド熊野は、大雨の中行われた赤木川ステージで落車し次の日に進めなかった。このとき集団に残っていたのはハイランダー村上と私だけだったが、ハイランダーは落車した私を待って集団に戻そうとしてくれたが、カザフスタンやイランのナショナルチームが牽引する集団に戻ることは不可能だった。
このときヴィノクロフ軍曹はさすがに来ていないが、イグリンスキーが来ていて桁違いの強さでサラリーマンがどうこうできるレベルではなかった。

このツールド熊野の道中で会場に向かう途中、雨で車がスリップしガードレールに激突し死にかけた。

エアバックのお世話になり体は無傷であったが車は廃車となった。店長に現地まで来てもらい、何とかレースには間に合ったが、完走することさらできず惨めな気持ちでレンタカー借りて、横浜まで帰った。このときハイランダー村上氏が車関係の配線やら解体やら色々手伝ってくれた。


2009年後半シルベストのTRチームはポイントが足らず降格のピンチを迎えた。

てっちゃんはNIPPOで活躍していたし、下林さんはシーズン通して完全にモチベーションを失っていた。

残留をかけて挑んだ経済産業大臣旗、全日本実業団。192kmの長丁場で加東で行われた。横浜からハイランダーの家に移動し泊まり参加したがなぜか一睡もできなかった。

当日は体調不良でとても走れる感じはしなかったが、チーム残留がかかっているため何があってもポイントが必要という状況。
30℃を越える環境下、補給に立ってくれた皆様にはおかげで集団内で何発もかかるアタックに耐え続け、最終局面で20名しか残っていない集団に生き残った。

ラスト1キロで力尽きて19位でゴールしたが、出し切ったレースの一つだった。



その後に、TR残留をかけた入れ替え戦が飯田で行われたが、下林さんの一時的な復活もありなんとか残留が決まった。

歴史を振り返ってみよう5

ローラー55min 174w 600kj

読んで頂いている方がいらっしゃるので続けよう。

2008年7月横浜に転勤となった。

正直まったく予想していなかった出来事なので動揺した。

練習環境考えどこに住むかかなり迷った。

結局東急田園都市線の長津田というところに住んだ。

仕事面では会社生活でもっとも充実した期間を過ごさせて頂いたが、競技面では非常に難儀した。

練習環境が一番近い山のヤビツ峠でさえ片道45キロありとても通える距離ではなかった。

また、練習仲間がおらず困ったが当時のシルベスト関東支部のジャジャマル君や畠田さん、永田さんにはかなり御世話になった。

ナルシマフレンドやオーベストさんの練習会にも一度参加させて頂いたがやはりアウェイ感が強く通うだけのモチベーションはなかった。

結局土日は一人で走ることが多かった。

江ノ島から伊豆半島は狂ったように走ったし、ヤビツ峠も頻繁に通った。練習の距離も当時のBR1基準で200kmが当たり前だった。

また平日朝練は4時前に起きて江ノ島まで行ったり、宮が瀬まで行ったりしてから出勤していた。

自転車屋が近くになく困ったが、帰省した際に林さんに御世話になったり、きりさんに大量に物資を送ってもらったりした。

単独練習がつらくて、大阪に帰って練習会に参加するのが楽しみだったりした。

この時にチームというもののありがたみをひしひしと感じた。

当たり前のようにあるものかもしれないが、その環境から離れてみてその本当の良さがわかる。山崎店長にも気をかけて頂き、帰省の際は一緒に走って頂いた。


2008年の後半の実業団リザルトとしては加東ロードで22位だったかな。

10月は狂ったように走り、3000km走って迎えたツールド沖縄200km。

優勝を目指して走ったが、最後の源河の登りピークを高岡さん、武末さんに続いて3番手で越えたがラスト10キロの独走力がなく二人に追いつけず、最後は後方から来た集団に飲み込まれ6位で終わった。

2008年はファンライドの日本最速列伝にも掲載して頂き、もっとも飛躍した一年だったかもしれない。







爆走オフロード練

御幸橋に集まる4名のシクロクロッサー。

まず一時間みっちり模擬コースでのシクロクロス。

階段、キャンバー、連続ヘアピン、シケインと様々な、要素を取り込むが一番はキャンバー区間の駆け上がりと走り抜けがポイントだ。

その後に河川敷のグラベルロードをシクロ車で爆走。オフロードの重たいガタガタの路面を踏みまくる。かなりこの道は面白い。シクロクロスの面白さを、堪能できる。

そして本日のグルメスポットへ。

中村軒のおぜんざい。ハンガーノック寸前だったため腹に染み渡るうまさだった。




その後はアドベンチャー秘境オフロードへ。




山頂に鎮座するこのありがたき祠を目指して踏みまくる。




祠でのいちゃん夫婦の安産祈願をして帰宅。

久しぶりの高強度練となった。

冬場はオフロード中心に鍛えていこう。

激動の一週間

平日の仕事が炎上を繰り返す毎日。

なんだか疲れることが増えた。木曜日も金曜日も帰るのが遅くなり、土曜日もグダグダだった。

明日の村上建具アドベンチャーライドの下見にいくが、やる気も起こらず適当にはしっていると河川敷でパンクしてフラストレーション溜まって帰ってきた。

そういや36歳になったがそんなことはどうでも良い気分で、溜まったストレス解消に夜にローラーに乗った。

20min 233w

10min 305w 160bpmd

4min rest

10min 307w 162bpm

4min rest

15min 308w 162bpm

少しすっきりした。


歴史を振り返ってみよう4

2008年の冬は本気だった。

12月2000km、1月2400km上昇20000m、2月2500km上昇24000mと走りまくった。

この頃に「雨が降っても濡れるだけ、雪が降っても寒いだけ」という名言が流行語大賞を受賞する。

3月に入るとシャドマンキャプテンと二人のモーニング西田橋がはじまった。そしてうっし~♪さんも参加しはじめ兄貴分二人との絆は固く結ばれる。

真っ暗闇の西田橋から真っ暗闇の天狗岩に登り、ハブダイナモのライトがなければ何も見えなかった。

そしてモーニング西田橋は次々とヒトが集まり最盛期は10名以上の変態が集まった。どいつもこいつもバカばかり。本当に志が高いチームだった。

モーニング西田橋をフルコースではしり、千里中央から天王寺の職場まで自転車で通う生活が続き平日の走行距離が100kmを超えることもあった。

西チャレからシーズンが始まり、明らかに去年とは違う自分になっていた。

シルベスト名物のクラクラクライムが2月にあったがそのときのタイムから推察すると前年から15%から20%くらいの出力向上をしていた。

BR1のメンバーはシルベスト初のUCIレースとなるツールド熊野に向けて一つの方向にまとまっておりクラブ員全員が応援してくれている雰囲気があった。

そして迎えたツールド熊野。

メカニックに林さん、メンバーは私、下林さん、シャドマン、所長、かまやん、みぞさんの6名だったか。

林さんはじめたくさんの方にサポート頂き、激戦を戦った。

雨の山岳ステージの二日目で札立峠の下りで落車し良いところからは脱落してしまったがプロ相手にギリギリのとこらで戦い29位で走りきり、3日間終わったときには最高の安堵感に包まれた。

その後の美山ロードのC1ではマトリックスの永良さんに続き2位となり、スプリンターへの開眼が始まる。

広島の全日本選手権は完走ならなかったが、西日本実業団は24位、富士山ヒルクライムも昨年から3分縮め48分くらいでゴールしている。

自転車競技が最高に楽しく、走った分だけの成長を感じていた。そして最高のメンバーに恵まれていた。

しかし、最良の状態は長くは続かない。

2008年7月横浜に転勤となった。








歴史を振り返ってみよう3

55min 176w 600kj

BR1にあがったのはよいがランキングで下位は降格になるため残りレースは出るしかなかった。

BR1の初戦はBR3でも完走できなかった飯田だった。案の定瞬殺された。

次は富士アザミライン。51分かかったけど完走点をもらえた。

そして本格的なロードレース加東ロードはなんとかグルペットで完走を果たした。
ここでなんとてっちゃんがBR1で
4位という快挙を成し遂げる。しかも西谷泰治、鈴木真理、三船雅彦の当時最強スプリンターの3人に続いての順位だった。

その後スカウトマンがてっちゃんのところに来ており、翌年てっちゃはNIPPOに移籍が決まる。

すごい話でもうひとつ書いておこう。毎年8月に行われる小川村という一周の標高差500mのヒルクライムのクリテリウムみたいなレースがあり、最も登りが厳しいレースがあった。
このレースでシルベストの下林さんがプロ選手を千切りまくり8位という快挙をなしている。この時私は、補給に立っていたが鳥肌が立つほどかっこよかった。ちなみに私はBR2でギリギリ完走できる程度だった。

いまやその姿を知る人はほとんどいなくなってしまったが、私の中ではシルベスト史上最強の選手は下林さんであることは揺るぎない。

そしてこの年シルベストはJグランプリ初年度を優勝する。BR1にエース格を大量に抱えながら、BR2,3のメンバーだけで優勝したのだから当時の選手層の厚さは今とは比べものにならない。

最後は所長や軍手マンもBR1に昇格したが、次年度ポイント降格が決まっているようなもんだったので店長がまぼろしのBR1で略して「マボワン」やとかゲラゲラ笑いながら話していた。

最終戦は白浜クリテリウムを集団内で普通に走りきり2007年のBR1残留が決まったが、実力的にとても私の実力では戦えるようなレベルでないことがわかった。

BR1昇格辺りから練習を大幅に見直した。

月に2000km以上走ることを掲げ冬のトレーニングに突入した。

12月から2000km走るためにかなり無理をした。また登りが遅かったので獲得標高の目標も作って走りまくった。

大晦日に一人で万博の外周道路を周りまくって2000kmにしたり、真っ暗闇の雪の中、路面凍結しまくる天狗岩を一人登りまくった。夜中の23時に霊園に向けてハブダイナモの光だけで登る姿は異常だったに違いない。


この練習の効果は3ヶ月程で現れ2月頃に私の競技レベルは格段に向上していた。




歴史を振り返ってみよう2

20min 223w

60min 294w 162bpm

1340kj

ふーきつい。

さて歴史を振り返ってみようシリーズ。

前回はBR3の飯田で完走できず、BR1に憧れたところまで書いた。

2007年の冬から少し冬場のトレーニングを真面目にやった。

記憶にあるのは山崎店長とよく一緒に走りにいったことだ。三田ループで高回転練を教えてもらったり、台形ペダリングを教えて頂きあほみたいにやりまくった。ランジが効くと教わるとその日にホームセンターにダンベル買いに行った。

年末に機材投資でLOOK595を買ったが追突を受けてすぐにカーボンエンドが折れるという悲劇に見まわれた。

冬があけて西チャレのエリートクラスに出場したがやはりまだ先頭集団で完走できるレベルではなかった。

BR3でシーズンが開幕し、舞洲で4位だったり、群馬まで遠征して落車して帰ってきたりした。

そして運命を変えた3DAY熊野。

シャドマンキャプテンからはBR1でエントリーできるから走ろうとお誘いを頂いたがとてもそのレベルじゃありませんとお断りしたのを覚えている。

BR2,3の混走レースに参加し最高の3日間を過ごさせて頂いた。一日目になぜか優勝。二日目は5位だったかな。3日目は4位。当時戦った相手は現在愛三工業の平塚選手であり、ヴィクトワールの伊藤選手。

着順の合計で順位が決まるとのことで、総合優勝してしまいようやくチームの一員になれた感じがした。

たくさんの方からお祝いの御言葉頂き、当時のレポートもクラブのHPに載せて頂いた。

本当に素晴らしいチームだと感じた。

その後ヒルクライムとか走ってみたがなかなかBR1には上がれず、迎えた経済産業大臣旗。

得意の熊野の山奥で開催された。

当時はみぞさんが加入したばかりなのに異常な強さであったことと、Jグランプリがかなり際どい戦いをしていたため私はアシストとして走った。

終盤にきつい登りがあり、そこの登りで案の定遅れてみぞさんを見送った。

しかしその後のテクニカルな下りでみぞさんと先頭選手が落車して私のところに優勝が転がり落ちてきた。

晴れて経済産業大臣旗を優勝し、BR1へ昇格となった。当時のJグランプリはレース毎にポイントが異なり経済産業大臣旗は300点という破格のポイントレイティングがされておりJグランプリ優勝にむけても大きく前進した。チームとしては最高の雰囲気だった。

そしてついに憧れのBR1の舞台に上がることができる。

BR1のメンバーだけに支給されていたOGKのモストロのヘルメットを頂いた時は高揚した。
今ではボロボロになって赤が白に変色しているが、捨てられずに使っている思い入れのあるヘルメットだ。

回転系

昨晩は接待で結構飲んだ。帰り道が本当に辛い。

23時5分に帰宅して23時20分くらいに寝た。

今朝はいつも通りのローラー。

20min 200w

53min 254w 150bpm 91rpm

最近回転を意識していなかったので回転系。これもやらないと体が忘れていく。
何気に結構辛かった。

シクロクロスは折り返し地点だが体が思うようにできあがっていかないなー。